引きこもり将軍が生み出した「和室」

和室
和室
私たちがイメージする「和室」
実は、室町幕府の8代将軍『足利義政』が生み出したものなんです。

「書院造」って言われているのですが、
今回、この「書院造」が現代の和室になった件を見てみたいと思います。

その前まで

平安時代までの一般的な貴族の住居は「寝殿造」というものでした。
寝殿造は、だだっ広ーい空間で、床は板張り、壁もなく布で仕切るなど、 今から考えれば「そんなところに住んでいたの?」というものでした。

書院造ができた

で、それを住み心地よくしたのが書院造ということになるのですが、それを作った貴族とは誰か、この人です。

—-義政ドーン

室町幕府8代将軍「足利義政」 あの有名な「銀閣(寺)」を作った方です。 そしてその銀閣が、書院造りだったということになります。
つまり、書院造で作られた銀閣を見れば、現代の和室の根源が分かりますね!

—-銀閣寺ドーン

銀閣
銀閣

銀閣(寺)について

ではその特徴を見ていきましょう。
銀閣の特徴は、禅宗の影響が盛り込まれた

「詫び寂び等の余剰と簡素を重んじる美意識」 (角川日本史辞典より引用)

これが銀閣へのコンセプトに繋がっています。

侘び寂びとは、明治時代の岡倉天心によると「非対称性、不完全な美」と評されています。

—-ここにもうちょい言及

足利義政はなぜ銀閣を作った?

ではなぜ、足利義政銀閣を作ったのでしょうか。それは、まさかのひきこもるためです。
義政はあるとき戦争(応仁の乱)に疲れてしまい「まぢ無理隠居しよ」となって出家をすることにしました。
引きこもり先として、新築を作ったのですが、それが銀閣。ひきこもるのですから、住みやすさにはこだわりました。

ちなみに、ひきこもって何をしていたかというと、文化へ思いを馳せることにしたのです。
結果として、そのオタ活は、「東山文化」という形になって育ち、後世に伝わることになりました。
面白いですね。

 東山文化
室町期の文化。北山文化に続き,東山山荘(銀閣)を築いた足利義政の時代を最盛期とする。
公家文化・武家文化・大陸文化に新興の庶民文化が融合した複合文化。
浄土への志向を禅の幽玄に結びつけ、わび・さびなどの余情と簡素を重んじる美意識が発達した。
庭園をはじめ、書院造などの発生に伴う蒔絵や茶の湯、 華道の発達、雪舟水墨画とそれに大和絵の感覚を加味した狩野派の成立、 金春,禅竹に代表される能、宗祇を中心とする連歌の隆盛などを特徴とする。 (角川日本史辞典より引用)

庶民への普及

そして現代の和室となります。私たちが思い描く和室が足利義政の引きこもりの名残というのが何とも言えないですね 笑
デザイン性(寝殿造)より機能性(書院造)が現代に残っているという点も面白いと思います。詫び寂びが機能性を生み、それが必要とされて後世に残ったという考え方もできるのではないでしょうか。ひきこもりやすさ、大切ですね。

以上になります。 最後まで読んでいただきありがとうございました。